野良と私の春夏秋冬

10数年来、自宅周辺の野良猫たちを見つめ続けてきたオバサンが綴る、「野良たちの生存記録」を兼ねた猫日記。

「モック」との別れ

私の祈りは、残念ながら届きませんでした。

前回(1月8日)、そして前々回の記事に書いた猫の「モック」。

動物病院に入院させて治療を続けていた「モック」は、1月9日の朝亡くなりました。


正確には、9日の朝起床し、「モック」の様子を見に下に降りた先生が(先生のお宅の一角が動物病院)、すでに息をしていない「モック」に気づいた、ということですが…。


前回の記事を私が書いたあの半日後には、もう「モック」は亡くなっていたのです。

前の晩には、先生がまだ生きている「彼」を確認しているので、恐らく深夜から明け方にかけて、息を引き取ったのでしょう。


(在りし日の「モック」、12月23日に撮影。実家の玄関前に、置きエサを食べようとやって来たところ)


私は3連休が終わり、ちょうどこの日からまた仕事でした。

「仕事始め」は4日でしたが、まだ職場もお正月気分でノンビリしていて、9日からいよいよ忙しい日常が戻ってくる日だったのです。


職場で朝礼が終わり、一段落してふと携帯を見ると、不在着信の表示が出ていました。

8時14分、動物病院からでした。

先生からの伝言メモが残されていました。

聞く前に、もう用件はわかりました。

人のいない「女子更衣室」に入って、先生の伝言を聞きました。

「モックちゃん、今朝亡くなりました。また○○さんの都合の良い時にご連絡下さい」



「ああ、やっぱりダメだったか…」という思いでした。

でもこの数日間、「モック」のことで泣いたり、僅かな希望を持ったり、あれこれ心が揺れる中で、自分でもある程度の「覚悟」はできていたのでしょう。

7日、病院の「モック」を見舞った時のように涙が止まらない、という風にはなりませんでした。


その日の夕方、動物病院が閉まるまでには「亡骸」を引き取りに行くと先生に伝え、仕事に戻りました。

自分がどんなに悲しい気持ちを抱えていようと、同僚達にとっては何の関係もありません。

いつも通りに仕事をしながら、心の中に何とも言えない寂しさ、虚しさが込み上げてくるのを、懸命に顔に出さないようにして過ごしました。


(1月6日の朝、私の古セーターにくるまれ、動物病院に向かう直前の「モック」。)


ようやく終業時間が来ると、すぐに職場を飛び出し、動物病院に向かいました。

夜には「モック」を弔ってあげようと思い、途中スーパーに寄って、お供え花を買いました。


私が到着した時、動物病院には他の患畜はいませんでした。

看護士さんが「モック」を連れてきている間に、先生が上の階から降りて来られました。

「○○さん、すみません、お力になれなくて…」と言われました。

これまでも、我が家の猫が亡くなるたび、先生から幾度も聞いてきた言葉です。


前の記事にも書きましたが、1月4日に「モック」をこの病院で診察してもらったばかりでした。

まさか、あの翌々日にグッタリ動けなくなり、5日後には亡くなるなんて、夢にも思っていませんでした。


しかし、もう今さらそれを言って先生を責めたところで「モック」は生き返りません。

先生もそうですが、私自身、そんなに「彼」の体調が悪いなんて、全く思っていませんでした。

自分自身をも責めなければなりません。

色々な思いがありますが、黙って「亡骸」を受けとりました。


「モック」の亡骸は小さな段ボール箱に入れられ、看護士さんが綺麗なタオルをかけてくれていました。

先生が「たぶん、(死ぬ時に)そんなに苦しんではないと思います」と仰ったのが、少し私の救いでした。

その場で死に顔を見る勇気はなく、先生と看護士さん達にお礼を言って病院を出ました。


出る前、一人の看護士さんが「昨日(8日)の夕方、モックちゃん、私の手からご飯を食べてくれたんですけどね…」と気の毒そうに言いました。

私が最後に「モック」に会ったあの後です。

少なくとも、死ぬ前の日の夕方まで「彼」は食欲があり、まだ生きる気力はあったのだ、と思います。


(12月に撮った「モック」。毎日こうして、実家前の私道に座っていました…)


実家の仏壇の前に「モック」を入れた段ボール箱を安置し、花を供え、お線香をあげました。

実家の中で暮らす2匹の猫達(この子達も元捨て猫です)が、何事かと寄ってきて、「モック」を入れた段ボール箱の匂いをしきりに嗅いでいました。


初めてタオルをめくり、「モック」の死に顔を見ました。

私の目にも、穏やかな顔に見えました。

先生が言われたように、あまり苦しむことはなく、静かに息を引き取ったのでしょう。


今さら、と解っていても、あれこれと後悔の気持ちが湧いてきます。

そんなに具合が悪かったのなら、無理をしてでも「モック」を暖かい家の中に入れてやれば良かった…。

玄関脇の「猫ハウス」で彼が寝るようになって、すっかり安心していたのです。


現在、実家の中で暮らしている2匹(オス)はナワバリ意識が強く、とても他の猫は受け付けない様子で、しかも1匹は「猫白血病」を発症し、病院に通う身です。

「モック」も家の中で一緒に…というのは難しいと思っていました。


私は自分のマンションで暮らしていますが、こちらにも、18年近くを共に暮らしてきた愛猫1匹のほか、諸事情で「保護」している猫さんが2匹います。

広くもないマンションに、人間1人と猫3匹が同居する生活。

もはやこれ以上は収容できない、と考えていました。


しかし、保護猫2匹のうち、まだ生後半年の子のほうなら、同室にしても争うことなく、何とか「モック」と同居させられたかも…。

実は「モック」が助かるかもしれない、という望みを持っていたあの3日間、考えていたのです。


もし「彼」が助かり、退院して戻れるようなら、すぐに大きなケージを買い、とりあえず「モック」をその中に入れて、先住猫と慣らしてみてはどうだろうと…。

残念ながら、実現することはありませんでした。


我が家の前に現れて以来、毎日遠慮がちにひっそりと、実家の門前に座り続けていた「モック」。

「寒いから(敷地の中に)入っていいよ」と声をかけても、悲しげな目でじっと私を見上げていた「モック」…。

元気がないからと、食べやすいドロッとした猫缶を皿に入れて差し出すと、「本当にコレ、食べてもいいの?」というように目を丸くしていた「モック」。


そして、亡くなる時も、まるで私に気を遣うかのように、仕事が多忙になる日の朝、ひっそりと静かにこの世を去っていきました。

私の「思い込み」だと解っていますが、まるで「これ以上、貴方にご迷惑はかけませんよ…」と「モック」が言っているように思えました。


(仏前に供えた花。翌日、埋葬する時、この花をちぎって「モック」の身体に飾りました)


翌日10日、2時間だけ有休をもらい、実家の庭に「モック」を埋葬しました。(同僚や上司には、もちろん「猫の埋葬のため」とは言っていません)


埋葬する前に、前夜仏前に供えた花をちぎって、亡骸の上に飾ってあげました。

春を呼ぶ「菜の花」もありました。

あと2ヶ月も辛抱すれば、(普段全く手入れもしていない)実家の庭には、菜の花を始めとして様々な花が咲き始め、春一色となるのです。

春を待たずに逝ってしまった「モック」。

せめて「あの世」で、うららかな春を満喫してほしい、そう思いました。


「あの世」ではお腹を空かせることがないよう、エサもたっぷり棺に入れてあげました。

また、今から寒い土の中に埋められるのだからと思い、猫用毛布で亡骸を包んであげました。


未練は尽きませんが、グズグズしていると冬の1日はすぐに暮れてしまいます。

夜になり、暗くなる前にと、必死で庭に墓穴を掘り、「モック」を入れた段ボールを埋葬しました。

前の道を通る学校帰りの中学生が、奇異の目で見て行きますが、そんなことは気にしていられません。


これまでの代々の猫達も、みんな我が家の庭のあちこちに眠っています。

「モック」は、実家のすぐ目の前の私道にいつも座っていたので、庭の中でも一番道に近い、東の端の場所に埋葬しました。



私の実家の前に初めて現れてから、わずか1ヶ月足らずの「はかないご縁」だった猫「モック」。

まるで、死ぬために我が家の前に現れたようでした。

もし、心ない人間が「この猫はもうすぐ死にそうだから、ここに置いていこう」と考えて捨てていったとしたら…。(「モック」の人をほとんど恐れない様子や、様々な状況からして、そうとしか思えないのですが)

そんな人間には生き物を飼う資格はない、と改めて憤りを感じるのでした。



すっかり長くなりました。

自分がもっと早く何とかしてやれば、という悔恨の気持ちは今も消えませんが、これ以上クドクドと書いても、「モック」は戻ってきません。


わずか1ヶ月弱の、あまりに「はかなすぎるご縁」でしたが、私はこの「モック」と名づけた猫のことは忘れないでしょう。

亡くなる直前、「彼」が私の実家の前に現れたのには、きっと意味があったのだ、そんな気がしています。

むしろ、「モック」が最後に過ごしたのが、私の実家の敷地で良かった、そう思っています。


今、こうして思い出しながら書いていると、また涙が溢れてきてしまいます。

何度経験しても、縁あった猫達との別れは胸が抉られるように辛く、悲しいものです。

しかし、「モック」の分も、まだ今生きている猫さん達を助けなければ、という思いを新たにしています。

きっとこれからも、第2、第3の「モック」が私の前に現れるでしょうから…。


「モック」、またいずれ「向こう」で会いましょう。(「さよなら」とは言いたくありません)

その時、私のことを覚えててくれると嬉しいな…。