野良と私の春夏秋冬

10数年来、自宅周辺の野良猫たちを見つめ続けてきたオバサンが綴る、「野良たちの生存記録」を兼ねた猫日記。

「ブッチ」よ、安らかに…(その2)/明日の命をも知れない野良たち

(【C地点】の女ボス、在りし日の「猛女ブッチ」)


ずいぶんご無沙汰してしまいました😢

またまた、前回の更新から2ヶ月が経とうとしています。


夏以降、仕事でもますます忙しさが加速し、職場の人間関係から来るストレスもあって、疲労が蓄積していました。


毎晩の「巡回」には、何とか途切れずに行こうと頑張りましたが、ブログを書く余裕はなくなっていました。


しかし、それだけではなく、このブログを更新するのが、正直かなり「しんどい」気持ちになっていました。


毎晩、野良さん達にまつわる「良いニュース」ばかり報告できるのなら、もっと頻繁に更新できたと思うのですが…。


現実には、前回の記事でも書いた「猛女ブッチの死(推定ですが)」をはじめとして、悲しくツラいことのほうが多く、ブログを書くのに「エイヤッ!」と勇気を出さねばならないのが現実でした。


(2014年秋、いつもの場所でエサを食べる「ブッチ」と、その子猫(「クリーム」と呼んでいました))


「そんなにツラいなら、ブログなんてやめちゃえば~?」と思われて当然ですよね。

私自身、何度か「もう、このブログやめてもいいかな…」という気持ちになりました。


しかし、去年12月、自分がこのブログを始めた「当初の思い」を振り返ってみると…「一人でも多くの人に、こうした野良猫さん達がこの世に存在し、必死に生きていた」という事実を知ってほしかったから、という理由だったのでした。


その思いは、今も変わりません。

「猫虐待犯」が横行し、平気で他人の家の前に子猫を捨てて行く人間が後を絶たない時代…。

それでも、野良さん達は、自分に与えられた過酷な運命を受け入れ、必死に生きようとしています。


現在、「猫オバサン」として、何匹かの野良さん達と「ご縁」のある私ですが、「こんな子がいるんだよ」ということを、私以外の人間に一人でも知ってほしい、そう願っています。


(同じく2014年秋、「ブッチ」の産んだ7兄弟が元気だった頃、【C地点】は賑やかでした…)


前置きが長くなりました。

これからも、更新は滞りがちで、めったに読む人もいない低調ブログですが、細々と続けていけたら、と思っています。



6月27日の晩、最後にその姿を見て以来、忽然と消えてしまった【C地点】の「猛女・ブッチ」。


悲しいことですが、やはりあの日を最後に、2度と「彼女」の姿を見ることはありませんでした。


その死体をこの目で見てはいないので、実感が湧きませんが、「ブッチ」は既にあの世に旅立ったのだな、と思っています。

(「?」という方は、前回と前々回の記事をご覧いただけたら、と思います)


私の心の中では、最後に「ブッチ」の姿を見て、「ブッチ、またね」と声をかけたあの日、6月27日を「彼女」の命日だと思うことにしています。



でも、「さよなら、ブッチ」とは言いたくありません😢

毎晩の「巡回」で会う、何匹もの野良さん達、その中でも特に長いつき合いで、強烈な印象を残した「ブッチ」。

「彼女」がいなくなったという喪失感は、あまりに大きいものでした。


気性が激しく、荒々しく、毎晩エサをくれる私にも、まず挨拶がわりに「シャーッ!」と一声威嚇する、そんな猫でした。


その一方で、「彼女」は神出鬼没、【C地点】にほど近い某コンビニに私が駐車すると、どこから見ていたのか? すぐ横の車の下からニュッと顔を出し、「ニャオウ~!」と一声。

「ちょっと! アタシはここにいるわよっ! 早くエサ出しなさいよ!」とか言っていたのでしょう。


私以外にも、エサをくれるおじいさん(ただし不定期?)がいて、そうした「猫好き人間」の好意はちゃっかり利用しつつ、決して100パーセント人間を信用することはありませんでした。


人間に媚びることなく、最後まで野良猫としてのプライドを持ち続けた「ブッチ」。

何回も妊娠し、沢山の子猫を産み育てた「肝っ玉母さん」でもありました。

今さらながら、実に見事な「猫生」であったと思うのでした。


(左の「白×キジ」の子には「木の実」と名付けていました。黒猫は、そっくりなのが2匹いて見分けがつかず、名前をつけないままでした…)


「ブッチ」が2014年の春に産んだ7匹(!)の子猫達。

まるで猫の「毛色見本帳」のごとく、あらゆる毛色がさまざまに揃って、食事時「ブッチ」を含めた計8匹が勢揃いした様子は壮観でした。


しかし結局、この7匹のうち生き残ったのは「パンダ」と名付けたオス猫ただ1匹でした。

この「パンダ」については、また今度書きたいと思います。(3日前には、生存確認できました)


他の子猫6匹は、どこでどのような「最期」を迎えたのか、私には知る術がありません。

ただ、短い生涯だったけれど、紛れもなくこの世に存在していた証として、残っている写真を紹介しようと思います。


(7兄弟の中で、今も唯一生き残っている「パンダ」(オス)。2014年秋の姿)


(こちらは、7兄弟の中で一番私になついてくれた「チョビ」(メス)。1匹の忘れ形見を残し、姿を消しました😢)



今でも、毎日車で【C地点】の前を通ります。

いるはずがない、とわかっていても、そっと「ブッチ…、お前はいないの?」と呟いてしまうことがあります😢

今にも、すぐその辺りから、あの鋭い眼光で睨みつつ現れ、私にエサを要求(というか、恐喝に近い…?)する姿が見えそうな気がします。


ところで、前回の記事でも触れた「ブッチ」の元夫(?)、たぶん7兄弟の父親だったと思われる「オッサン」。

実に不思議ですが、2年近く姿を消していたのに、「ブッチ」が消息不明になって間もなく、再び【C地点】にエサをもらいに現れたのです。


今までどうやって生きていたのか、全く謎でしたが…。

ともかく、奇跡的に生きて再会できたことを嬉しく思っていました。


色々な推測ができます。

恐らく、しばらくの間は「夫婦」として、「ブッチ」と一緒に【C地点】で生息していた「オッサン」。

しかし、何らかの事情で妻「ブッチ」から追い出されたのではないでしょうか?


たとえば、「ブッチ」に他の相手(オス猫)ができたとか、自分の子育てのジャマになると思ったとか…。

一緒にいる時、どう見ても「ブッチ」のほうが強そうで、温厚そうな「オッサン」は、尻に敷かれているように見えました。

猫社会にも、人間社会に劣らぬ様々な「事情」があるのでしょう。


(そっくりで、最後まで見分けがつかなかった「黒猫兄弟」)

(「アカネ」と呼んでいた「白×茶トラ」の子。性別は不明のままでした)


しかし、7月22日に再会して喜んだのもつかの間、「オッサン」はその後、再び姿を消してしまったのです。

「彼」の身に何があったのか。

どこかで無事に生きていてほしい、そう祈るしかありません。


誰もいなくなった、と思われた【C地点】ですが、今は別の「お客さん」がエサをもらいに来るようになりました。

この「ヨネクロ」と名付けた野良さんについても、また近々書けたら、と思います。


(「ブッチ」の元夫?「オッサン」。この夏、「ブッチ」が消息を絶った後、再び現れましたが…)



長くなりました。

涙の再会を果たした、と思ったら、またすぐに姿を消してしまう…。

野良さん達は、明日の命をも知れない世界で、今日も懸命に生きています。