野良と私の春夏秋冬

10数年来、自宅周辺の野良猫たちを見つめ続けてきたオバサンが綴る、「野良たちの生存記録」を兼ねた猫日記。

「ブッチ」よ、安らかに…(その1)

(最後まで「野良猫」として誇り高く生きた「猛女・ブッチ」。この写真の彼女は、威厳に満ちてキリッとして、実に美しいと思います)


前回の更新から、もう2ヶ月以上の時が経ってしまいました。

きっと「このブログ、もう更新する気ないんだな」と思われたことでしょう。


しかし、決してこのブログを放棄した訳ではありません。

頭の隅にはいつもあったのですが、「更新する勇気がなかった」というのが正直なところです。


前回の記事に書いた【C地点】の「猛女・ブッチ」、消息を絶った「彼女」のその後ですが…。

心の中では、まだ認めたくない気持ちです。

けれど、「彼女」は恐らく、もうこの世にいないのだ、という悲しい現実を認めざるを得ません。

これを書く「踏ん切り」がつくまでに、時間がかかりました。


ですが、「ブッチ」のことを書かずには、このブログは一歩も先に進めないのです。

勇気を出して、「彼女」のその後について書くことにします。


(これも、3年ほど前に撮影した「ブッチ」。私を見る鋭い眼光は最後まで変わりませんでした)


【C地点】に「女ボス」として君臨し、何度も出産、何匹もの子猫を産み育ててきた「猛女・ブッチ」。

その気性の荒さは半端なく、もう5年以上のつき合いになる私にも、顔を見るとまず挨拶がわりに一声「シャーッ!」と威嚇する、そんなメス猫でした。


しかし、「彼女」が懸命に育てた子猫達は、過酷な野良猫の環境に耐えることができず、次々に命を落としていきました…。(唯一、生き残った「パンダ」という息子は、今も【C地点】の道路を挟んだ対岸エリアで生息しています)


その「パンダ」達、7匹の兄弟猫の「父親」だと思われるオス猫がいました。

いつも「ブッチ」と一緒に【C地点】にいて、「彼女」がエサを食べ終わるのを待ち、自分もノッソリ近づいてきては食べ始める、という感じでした。


このオス猫には特に名前をつけてなかったのですが、いかにも「オッサンっぽい」外見から、「オッサン、オッサン」と呼んでいたら、いつの間にか名前になってしまいました。

我ながら、ひどいネーミングですね。


明らかに、力関係では強い妻?「ブッチ」の尻に敷かれていた「オッサン」。

しかし、2年ほど前のある日を境に「オッサン」も姿を消してしまいました。

ああ、「彼」もどこかで死んだんだな…と悲しく思いながら、また年月は流れていったのでした。


(今から約3年前、2015年9月27日に撮影した「ブッチ」)


その「ブッチ」が、6月27日の夜、【C地点】すぐ隣の駐車場で見たのを最後に、忽然と姿を消しました。

何とか生きていてほしい、そう願いながら近辺を探し回り、手掛かりを求めて「聞き込み」をする毎日でした。


【C地点】のすぐ目の前には、こじんまりとしたスーパーがあります。

私が「ブッチ」を最後に見た、このスーパーの第2駐車場は、「彼女」にとって「自分のなわばり」だったのでしょう、よくこの辺りまで来ていました。


メス猫としては、行動範囲の広かった「ブッチ」。

この駐車場のスーパーと反対側からは、車道に出ることができます。

信号のない「裏道」として、大通りから迂回してくる車がけっこう通る道。

「ブッチ」はここで車に轢かれて死んだのでは?と思っていたのです。


(今年6月27日の夜、これが最後に見た「ブッチ」の姿となりました😢)


「ブッチ」が姿を消してからちょうど1ヶ月経った7月28日夕方、勇気を出し、このスーパーの「惣菜売場」で働くオバサン達に聞いてみました。

スーパーの中で、一番北側の端っこにある「惣菜売場」。

コロッケやトンカツを奥の厨房で揚げては、前の陳列ケースに並べ、販売しているこの場所が【C地点】に最も近く、店内では独立した造りになっています。

出入り口の透明なガラスドアからは、野良猫さん達の動きもよく見えるのでは、と思ったからです。


この日、売場には2人のパートのオバサンがいました。

1人は厨房の奥にいましたが、もう1人は陳列ケースの前でお客さんの対応をしていました。

閉店間際の忙しい時にすまないと思いつつ、1ヶ月ほど前、このすぐ近くで猫が死んでなかったか、尋ねてみたのです。(突然思い立ってのことだったので、あいにく「ブッチ」の写真は持っていませんでした)


オバサンは、突然猫のことを尋ねてきた私に面食らった様子でした。

それでも、わざわざ仕事の手を止め、親切に話を聞いてくれました。

「1ヶ月前、猫が死んでたかどうか…? ちょっと私はわからんけど…。今、奥にいるあの人が猫好きだから、聞いてみましょう」と言って、呼んできてくれました。


その猫好きだというオバサンの答えは、私にとってショックなものでした。

「ああ、猫ね…、そうそう、1ヶ月くらい前、確かにすぐそこの駐車場で死んでるのを見たわ」


私は、第2駐車場に面した車道で「ブッチ」が轢かれて死んだのでは、と推測していたのです。

しかし、オバサンの話だと、車道ではなく駐車場の中でバッタリ死んでいた、と言うのです。

私が6月27日の夜、ブッチを最後に見たまさにあの場所でした。


「死んでいたのは、どんな毛色の猫でしたか…?」「どんな死に方をしていましたか?」

色々と追求して聞きたかったのですが、さすがに忙しそうなオバサンをそれ以上引き止めるのも申し訳なくて、礼を言い、店を出たのでした。


(上の写真の2週間ほど前、同じスーパーの駐車場で見かけた「ブッチ」)


車で家路につきながら、胸がえぐられるように悲しい気持ちでした。

もしかしたら自分の思い過ごしで、「ブッチ」はまだ生きているのでは?という僅かな望みを持っていたのです。


しかし、車に轢かれて死んだのではないなら、「彼女」に何があったというのか?

悪意を持ち、野良猫を殺して喜ぶような人間は日本中にいます。

しかし、あの警戒心が強く、人間に決して気を許さない「猛女・ブッチ」が、例えばエサにつられたとして、やすやすと人間に近づき、毒牙にかかるだろうか…?

とても、「彼女」はそんなに簡単に人間に殺られるような「タマ」ではない、そう思ってしまうのでした。


死んでいたのは、やはり「ブッチ」なのか…?

最後に見たあの日以来、「ブッチ」の姿は完全に消え、その気配すらありません。

それでも諦めきれず、5日後、再びあの惣菜売場のオバサンの所へ行ってみました。


2度も現れた私に、オバサンは少し苛立った顔をして、「閉店前で忙しいから、早くして」と言いました。

それはそうですね。

オバサンにはすまないけれど、最後にこれだけは聞いておかないと自分が諦めきれない、と思いました。


「この前、駐車場で死んでたという猫は、この猫でしたか?」

今度は「ブッチ」の毛色がよくわかる写真を引き伸ばして持っていました。

写真を見たオバサンは、「ああ、そうやわぁ、確かにこんな猫やった」

「…では、その猫は轢かれて死んでいたのですか?」

「いや、自然にパタッと死んどったよ(外傷はなく)」


オバサンの言う「自然に…」というのは、100%信じてよいかわかりませんが、とにかく、轢かれて血だらけになって死んでいた、という状態ではなかったようです。

もう、それ以上はもうオバサンから聞けそうになかったので、お礼とお詫びを言って店を出ました。


やはり「ブッチ」はもう死んでしまったのだ、そう認めるしかありませんでした。

それにしても、車に轢かれたのではないとしたら、「彼女」はどうして死んでしまったのか…。


今年のある頃から、エサをもらいに現れる「ブッチ」の背骨が浮き出し、ずいぶん痩せたな、とは感じていました。

野良猫として生きていれば、「猫エイズ」「猫白血病」などの病気に感染している可能性は大でした。


それでも、最後に駐車場で会ったあの晩、私の顔を見ると「ここでエサをちょうだいよ!」と言いたげに「ニャオ~!」と鳴いた「ブッチ」。

とても、そのすぐ後に死ぬようには見えませんでした。


私の住む地域も、日本全国と同様、この時期にはひどい「猛暑」でした。

まさか、とは思うけれど「熱中症」で死んだ可能性もあります。

エサと一緒に水もいつも置いておく行くけれど、「ブッチ」がちゃんと飲んでいたかはわかりません。


「彼女」がどうやって命を落としたのか、その理由、その最期がわからないために、「なぜ…? どうして…?」という思いがずっと頭の中をグルグル回り続けているのでした。


※長くなったので、また次回続きを書くことにします。


(7月22日朝、奇跡的に再会した「ブッチ」の元夫?「オッサン」!)

(同上。「オッサン」、今までどこでどうやって生きていたのか…?)

「ブッチ」、お前に何があった?

前回の更新(6月16日)で、行方不明になっていた【F地点】の「もなか」と、約2ヶ月半ぶりに再会できた喜びを書きました。


しかし、あの後、今度は別の猫が姿を消してしまったのです。


このブログにも何度か登場しましたが、【C地点】の女ボスとして君臨し、私ともう5年近い付き合いになる「ブッチ」。

彼女は、6月27日の夜会ったのを最後に、その姿を消してしまいました😢


( 6月27日22時、【C地点】すぐ隣の駐車場で会った「ブッチ」。これが、彼女の最後の姿となってしまうのか…)


私がいつもエサを置く【C地点】は、とある事務所のすぐ前ですが、この夜「ブッチ」は、【C地点】に隣接するスーパーの駐車場にいたのです。


停まった1台の車の下で寝そべっていた「ブッチ」は、私が車から降りてくると「おや?」という顔をしましたが、「猫オバサン」だとわかると、ゆっくり近づいてきました。


なぜか「今、ここでエサちょうだいよ!」と言いたげな「ブッチ」。

動くのが面倒くさかったのでしょうか?


本当はマズイのですが…一握り、私の車の脇にエサを置いてあげました。

「ブッチ」はいつものように、私をチラチラと上目づかいで見ながら、エサをパクついています。

もう少しエサを足してあげようと手を伸ばすと、いつものように「シャーッ!」と威嚇の声を出しました。


この夜を最後に、彼女が消息不明になるなんて、思わなかったのです。

まだ少し人通りがある時間、怪しまれてもいけないので、「じゃあブッチ、またね…」と挨拶して、食べ続けている彼女と別れたのでした。

(【C地点】上と同じ日。私が置いたエサを食べる「ブッチ」)


この夜以降、私が「ブッチ」の姿を見ることはなくなりました。

何とか彼女の無事を確認したくて、夜の「巡回」の時はもちろん、明け方お皿を片付けに行く時も、必死で【C地点】の付近を探しましたが、「ブッチ」の気配はありませんでした。


27日の夜、私が「ブッチ」にエサをあげた駐車場は、彼女がずっと縄張りとしてきたスーパーに面しています。

そして、この駐車場の反対側には、広い道路につながる、信号のない道が走っています。

信号のある大通りを避けて、多くの車がこちらを通ろうとします。


「ブッチ」を最後に見た日の翌日は、私は疲れてしまい、「夜の巡回」に行けませんでした。

その次の日、車でこの道を走っていて、ちょうどあの駐車場から道に出る辺りに、猫が轢かれたような痕跡を見たのです。


猫好きな人ならわかると思いますが、猫が車に轢かれたことを示す血の跡…。

まさか「ブッチ」では…?という思いが頭をよぎりました。


この辺一帯を縄張りとしていた「ブッチ」は、例のスーパー駐車場から、道を挟んでさらに東側に渡った向こう側の自動精米機辺りまでよく行っていたからです。

(【B地点】6 月24日未明、エサを食べにやって来た「パンダ」。彼は【C地点】の女ボス「ブッチ」の息子です)


先週、この場所のすぐ目の前にある小さな美容室に入り、店の方に「ブッチ」の写真を見せながら聞いてみました。

「数日前、こういう猫がこの店の前で轢かれてませんでしたか?」

お店のご夫婦は、嫌な顔もせず応対してくれましたが、「う~ん、ちょっとわからないですね~😓」という答えでした。


でも、お店の方が知らない間に「ブッチ」が轢かれて、死骸も片付けられてしまった可能性だってあります。


「ブッチ」はどこかで生きているのか、それとも死んでしまったのか…。

どちらかわからず、宙ぶらりんの気持ちのまま、日がどんどん過ぎていきます。


2014年に「ブッチ」が生んだ7匹の子猫達。

必死で子育てしていた「ブッチ母さん」でしたが、冷たい木枯らしが吹く頃には、子猫達は次々と姿を消していきました。

まだ抵抗力のない野良猫の子供は、病気で呆気なく命を落としていくのです。


そんな中で、唯一生き残ったのがオス猫の「パンダ」でした。

「パンダ」は親離れしてからは、母が暮らす【C地点】から、車通りの激しい大通りを挟んだ対岸【D地点】に移動して来ていました。


最近は、【D地点】から直線で250メートルほど南に進んだ【B地点】に、エサをもらいに現れることが増えていました。

【B地点】は、あの「チビクロ」一家が縄張りとしてきた場所です。


最近は、この「パンダ」も、6月24日の未明、【B地点】で私が置いたエサをがっついている姿を見て以来です。

エサ場を渡り歩きながら、たくましく生き抜いている「ブッチ」の息子・「パンダ」。

彼についても、無事を祈ることしかできません。

(【B地点】、【D地点】、そして時には自分が生まれ育った【C地点】でエサをもらい、たくましく生き抜いていた「パンダ」)


それにしても、まだ「ブッチ」のことが諦めきれない気持ちです。

あんなにも強く、気性が激しく、他のオス猫達をもタジタジとさせる気迫に満ちていた女ボス「ブッチ」。


何匹もの子猫を生み育てた「肝っ玉母さん」。

私からエサは貰いながらも、決して人間に媚びず、野良猫の野生と誇りを持ち続けた「猛女・ブッチ」。

すばしこく賢いお前が、そう簡単に車に轢かれて死ぬはずがない、そうだよね?

心の中で、そう呼びかけています。

「もなか」生きていました‼

昨日、とても嬉しいことがありました!

4月の頭、最後にその姿を見て以来、忽然と消えてしまった【F地点】の常連猫「もなか」。


昨日の未明、生きて無事な姿を現してくれたのです!

実に、約2ヶ月半ぶりの再会でした!

(【F地点】最後に姿を見てから、2ヶ月以上行方不明だった「もなか」、生きていました! 昨日の写真)


この「もなか」については、4月4日の記事「美人猫・もなか」で紹介したばかりでした。

まさにその記事をアップした後、「彼女」は姿を消してしまったのです。


私と「もなか」との付き合いは、もう4年近くになると思います。

毎晩、エサを貰いに【F地点】に現れるけれど、私が触ることは絶対に許さない、警戒心の強いメス猫でした。


それでも、私を上目遣いで見ながら、かなり近くでエサを食べてくれるまでになった「もなか」。

私はこの数年間で、すっかり「彼女」に情が移っていました。


毎晩、「今夜こそは出て来てくれるのでは?」と淡い期待を抱きつつ、【F地点】にもエサを置きに行きました。

しかし、何度巡回しても「もなか」は全く姿を見せず、その気配すらありませんでした。


毎朝、【F地点】の前を車で通りながら、「もなか」が轢かれて死んでいないか、目を凝らして見ていましたが、そんな痕跡もありません。


【F地点】は、私の住むマンションからほど近く、車通りの激しい大きな道路から1本入った脇道沿いにあります。

しかし、「もなか」がその気になれば、大通りまで出ることもあり得ます。


大通りで、私が仕事に行っている日中、車に轢かれて死んでしまい、死骸も片付けられていたら、もう私には知る術もありません。


(同上。6月15日未明3時40分、無事な姿を見せた「もなか」)


毎晩エサをくれる私にさえ、決して触らせなかった用心深い「もなか」、巷に横行する猫虐待犯に捕まったとは考えにくいのでした。(捕獲器でも使えば、話は別ですが…)


1ヶ月、2ヶ月と、時が経過するとともに、「もなか」が生きているという希望は薄れ、絶望的な気持ちになっていました。


それでも、まだ諦めたくない、認めたくない、その一心で【F地点】にエサを置き続けていたのでした。



最近は、体調不良や仕事の疲れから、帰宅すると倒れるように眠ってしまい、真夜中に目覚めて「巡回」、という日も増えていました。


一昨日(14日)も、日中色々なハプニングがあり、疲れ果てて帰宅、そのまま爆睡してしまったのです😱


目が覚めたのが、日付変わって昨日15日の明け方の3時過ぎ。

それでも、今から回れる所だけでも回ろうと、車で出発しました。

どうせ「もなか」はいるはずない、と何の期待もせず、だけど習慣のように【F地点】に車を止めました。


エサを、いつも置く場所に持って行くと、薄暗がりの中で、猫の姿がぼんやり見えます。

「!」と思って懐中電灯で照らすと、そこにいたのは紛れもなく「もなか」でした!


(以前と変わらず、キレイなままの「もなか」、一体どこにいたのか?)


あまりに思いがけず、あまりに嬉しくて、涙が出そうになりました。

本当は、大声で「もなか! アンタ今までどこにいたの! 心配したんだよ!」と叫びたい気持ちでした。

でも、すぐ近くには民家もある場所、未明から叫ぶこともできません。


「彼女」は、間違いなく私のことを覚えていました。

私の置いたエサを、ちょっと遠慮がちにカリカリ音を立てて食べながら、時々上目遣いでチラッと私を見ます。


久しぶりに見た「もなか」は、最後に姿を見た時と変わらず、毛並みもキレイで「美人」さんでした。

この2ヶ月半の間、彼女にどんな事情があったのか、私にはわかりません。


でも、生存が絶望的だと思っていた子と、こうして無事に再会できると、無上の喜びを感じます。

人間界のくだらない「もめ事」とか「ストレス」とか、そんな物は吹き飛んでしまうのでした。


ともあれ、「もなか」は無事だった!

今はその喜びを噛みしめています。