野良と私の春夏秋冬

10数年来、自宅周辺の野良猫たちを見つめ続けてきたオバサンが綴る、「野良たちの生存記録」を兼ねた猫日記。

あれから1年、「ブッチ」を偲ぶ

(鋭い眼光と「極妻」のような気迫…何年間も【C地点】に君臨した女ボス「ブッチ」)


もはや、数ヵ月に1度の更新が普通(?)になりつつあるこのブログ…。

しかし、今夜は何としても「ブッチ」のことを書きたい、と思い、記事を打っています。


【C地点】でほぼ毎晩、私が持っていくエサを待っていた常連のメス猫「ブッチ」。

その気性の激しさは並外れていて、エサを持って近寄る私にも、挨拶がわりに「フーッ!」「シャーッ!」と威嚇するのがお決まりでした。


もし、エサをがっつく「彼女」を、そっと撫でようと手を伸ばしでもしたら、たちまち「ガリッ!」とやられるのでした。

「何すんのよッ! 気安く触るんじゃないわよッ!💢」という感じだったのでしょう。


そのあまりに荒々しい気性から、「猛女・ブッチ」と呼んでいました。

【C地点】の「女ボス」として君臨、何年間もスーパーの周辺を縄張りとし、睨みをきかせていました。


一方、何度も出産し、沢山の子猫達を育てた「肝っ玉母さん」でもありました。

自分の子猫達には深い愛情を注ぎ、普段の荒々しさからは想像できない「優しい母」の顔も垣間見ることができました。


しかし、「ブッチ」が育てた子猫達の大半は、満1歳になるのを待たず、次々に命を落とし、姿を消していきました。


2014年春に「彼女」が生んだ子猫7兄弟の中で、唯一生き残り、大きな道路を挟んだ「対岸」エリアに生息していた「息子」がいました。

私が「パンダ」と名付けた子です。

しかし、その「パンダ」も、今年の春を最後に姿を消してしまいました😢

この猫さんのことは、また近々ブログに書きたいと思います。


(去年6月27日の夜、最後に見た「ブッチ」の姿)


ちょうど1年前の6月27日、この日の夜が、「ブッチ」の姿を見た最後となりました。

いつも私がエサを置く場所から少し横の、スーパー駐車場に「彼女」は寝そべっていました。

まだ、今も梅雨真っ最中の今年とは大違いで、去年の今頃は異常な暑さだったのです。


この夜も、すでに真夏の夜のように暑い晩だったのを覚えています。

まさか、あれが最後になるとは夢にも思わず、「ブッチ、またね」と声を掛け、「彼女」と別れたのでした。


その後のことは、去年の記事に詳しく書いたので、もうここでは繰り返しません。

どこかで生きているのでは、というはかない望みを抱き、「ブッチ」の姿を探しましたが、あの晩を最後に、二度と「彼女」に会うことはありませんでした。


スーパーの惣菜売り場に勤めるオバサンの証言などから、「ブッチ」はもうこの世にいないのだ、という悲しい現実を受け入れるしかありませんでした。


あの「猛女・ブッチ」が、やすやすと人間に殺されたとは到底思えず、私に最後に会った晩も、確かにだいぶ痩せてはいましたが、まだまだ元気そうでした。


「彼女」がどんな形で最期を迎えたのか、それがわからないために、ずっと気持ちの整理がつかず、心の中にやりきれない思いが残るのでした。


あれから1年、今でも【C地点】の傍を車で通りながら、「ブッチ、お前はもういないのかい…?」と呟いてしまうことがあります。


今にも、すぐその辺の暗がりから「ブッチ」がニュッと顔を出し、「ちょっと! アタシはここよッ!」と言わんばかりに「ニャオ~!」と私に呼びかけるような気がするのでした。


実際、メス猫としては行動範囲のとても広い猫でした。

そして「神出鬼没」という言葉がピッタリの猫でした。


スーパー横の【C地点】はもちろん、そこから100~200メートルくらい離れたアパート横の暗がりとか、コンビニの裏とか、思いもかけない場所からニュッと現れ、私に呼びかけることがあったのです。


いつも挨拶がわりに「シャーッ!」と威嚇しつつも、「ブッチ」なりに、私を「エサをくれる人間」と認識し、当てにしてくれていたのだな、としみじみ思います。


数年間、不思議な縁でつながり、私の心に強烈な印象を残し、忽然と姿を消した「猛女・ブッチ」。

生きている限り、私は「彼女」のことを決して忘れないでしょう。

力強く、たくましく、決して人間に媚びずに「野良猫」として誇り高く生きた一匹のメス猫のことを。


「ブッチ」、私がいずれ「そちらの世界」に行ったら、また会おうね。