野良と私の春夏秋冬

10数年来、自宅周辺の野良猫たちを見つめ続けてきたオバサンが綴る、「野良たちの生存記録」を兼ねた猫日記。

9ヶ月ぶりの更新です

大変ごぶさたしておりました。

というか、長い間「完全放置状態」になっていたこのブログ、前回の記事から約9ヶ月ぶりの更新です😱


とりあえず、生きておりました。

仕事にも相変わらず行っています。

猫さん達への「夜の巡回」も、細々とですが続けています。


ただ、年齢的に「更年期」の一環なのか、それともボチボチ人生の「疲れ」がたまってきたのか? 去年の秋以降は精神的に落ち込むことが増えて、ブログを書く気力も失っておりました。


このブログとは別に、もう1つブログをやっているのですが(猫ブログではなく、日常生活を綴ったもの)、そちらも何ヵ月か「放置状態」でした。

ようやく、昨年末くらいから再開できた感じです。


更新が途絶えていた9ヶ月の間、こちらのブログは「もうこのまま、永久冬眠状態になるのかな…」と思ったりしました。


でも、自分が関わった「野良さん達」のことを他の人にも知ってほしくて始めたブログ、闇に葬られる(?)のも、あまりに寂しい…そう思い直して、また更新することにしました。


この9ヶ月の間、なじみの「野良さん達」の世界にもいくつかの「変化」があり、ずいぶん寂しくなりました。

それでも、まだ生存し、毎晩私が行くのを当てにして待っていてくれる子のため、何とか頑張っています。


ただ、今そのことを詳しく書く元気はないので、今日は私の実家に現れる「通い猫」の話題を書こうと思います。


(毎朝、ご飯をもらいに現れるようになった通い猫「ポンタ」)


去年の秋くらいから、実家の裏庭に毎日エサをもらいに来るようになった猫さんがいます。

白黒のオス猫で、身体も大柄、鋭い目付きでどこか「ボス猫」の風格がある猫さんです。


始めの頃は、私の顔を見ると「シャーッ!」と言っていましたが、毎朝エサを持って行く私に、少しずつ気を許してくれるようになりました。


いつの間にか、毎朝いるのが当たり前、逆に姿を見ない日には何だか心配になり、情が移っている自分に気づきました。

私のネーミングはいつも「直感的」ですが、この猫さんと毎日顔を合わせるうちに、「ポンタ」という名前が浮かびました。


実家の中には2匹の飼い猫がいて、「ポンタ」を家の中に入れてあげることは出来ないのですが、彼は毎朝どこからか現れ、私が持って行くエサをじっと待っているのでした。


エサ皿を「ポンタ」の前に置いて、小さな声で「ポンタ、お食べ」と話しかけると、「彼」は何とも言えない目でじっと私を見ています。

「コヤツを信用しても大丈夫だろうか…?」と品定めしているのかも知れません。


「野良猫」として生きてきた子達は、みんな根強い人間への不信感を持っています。

それは、たやすく消えるものではありません。

じっくり時間をかけて、「ポンタ」が私を信頼してくれるようになるといいなあ、と思います。


(上の「ポンタ」とよく似ていますが、別の猫さんです)

こちらは、今朝撮影した猫さんです。

「ポンタ」のように毎日ではありませんが、何日かに1回、顔を見る子です。

実家の玄関脇にある竹やぶの中から、私に何か「ニャーニャー」話しかけています。

色柄といい、特徴ある太いシッポといい「ポンタ」によく似ているので、「もしや兄弟では?」と思ったりもします。


この猫さんも、私が「ポンタ」用に裏庭に置いたエサを食べたくて、やって来るのでした。

不思議と、2匹が鉢合わせして「いがみ合う」という場面は見たことがなく、互いにうまく「折り合い」をつけているのかしら?と思うのでした。


(1ヶ月ほど前、実家の門の外から入ろうとしていた猫さん。たぶん飼い猫です)


私の実家は、今にも崩れそうなボロ家ですが、庭がかなり広く、手入れできてないので草木が生い茂っています。

この環境が、猫にとっては居心地が良いらしく、「野良さん」以外に、近所の飼い猫と思われる猫もたびたび敷地に出入りして、ご近所の方からは「猫屋敷」と呼ばれているのでした。



次の更新は、果たして何ヵ月後なのか…?

自分でも予想出来ませんが、次回はまた「野良さん」達のことを書けたら、と思います。